キリスト教 Christian religion 2005 3 12
日本人にとって、キリスト教は、わかりにくい宗教かもしれません。
イエスキリストは、「敵を愛しなさい」という教えがあるように、
愛を説いた救世主でした。
にもかかわらず、キリスト教国は、好戦的な国が多いでしょう。
こういう点が、いっそう、キリスト教をわかりにくくしているかもしれません。
これは、キリスト教が、ローマ帝国やヨーロッパに伝わっていく過程で、
ユダヤ教的なものが混ざってしまったとも言えるでしょう。
(ユダヤ教的なものというと、英雄モーセの活躍を連想すればよいでしょう)。
しかし、純粋な「イエスキリストの教え」が変質してしまう可能性は、
イエスキリストが、愛の教えを説いている最中にも、その可能性はあったのです。
当時、多くの民衆が、そして弟子までも、
イエスキリストに、「宗教家としての救世主」ではなく、
「政治家としての救世主」を求めていたのです。
多くの人は、イエスキリストが、ユダヤの王となって、
自分たちを救ってくれると期待していたのです。
しかし、現実には、「愛の神」が、イエスキリストを指導していたのです。
だから、イエスキリストは、愛を説かなければならなかったのです。
ここに、イエスキリストの孤独があったのです。
民衆は、イエスキリストに「政治家としての救世主」を求め、
イエスキリスト自身は、愛の大家として、
「宗教家としての救世主」にならなければならないと考えていたのです。
この孤独は、遠藤周作著「イエスの生涯」に、詳しく書いてあります。
なぜ、今、キリスト教のことを書こうと思ったのか。
それは、3月9日の日本経済新聞の第7面において、
アメリカにおけるキリスト教の特集記事があったからです。
この記事は、宗教に興味がない人でも、ぜひ読んでおく必要があります。
アメリカは、宗教大国です。
アメリカにおいて、キリスト教の大きな宗派は、
大統領選挙を左右するほど、大きな影響力を持っているのです。
それにしても、アメリカにおいて、キリスト像(イメージ)が、大きく変ってしまった。
イエスは、こう言ったのを覚えているでしょうか。
「あなたがたも聞いているとおり、
『隣人を愛し、敵を憎め』と命じられている。
しかし、わたしは言っておく。
敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。
あなたがたの天の父の子となるためである。
父は悪人にも善人にも太陽を昇らせ、
正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださるからである。」
これを、何と極端なことかと思う人もいるでしょう。
しかし、イエスは、そう言わなければならなかったのです。
あの時代は、あまりにも「正義の実現」や「善悪の区別」が強くなりすぎて、
結果的に、破壊と闘争というものが大きくなりつつあったのです。
だからこそ、「敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。」と言う必要があったのです。